時間に形を与える|髙橋大雅 アートワークス

時間に形を与える|髙橋大雅 アートワークス

T.T Women 2026 Autumn Winter First Delivery 時間に形を与える|髙橋大雅 アートワークス 1 分

髙橋大雅は、衣服、美術、空間と、領域を越えて活動したデザイナーであり現代芸術家である。長きにわたり残り続ける衣服や美術品に宿る美しさに惹かれ、「過去の遺物を蘇らせ、未来の考古物を発掘する」ことを自らのテーマに掲げた。「応用考古学」と名づけたその実践のなかで、時間や自然がもたらす偶然性、伝統工芸、そして不完全性が生む美が、絶えず探求されていった。

2022年4月9日、27歳になったばかりの髙橋は、志半ばにして永眠した。総合芸術空間「T.T」をはじめ、制作途上の美術作品、1910年代の服飾資料や古美術品およそ2,000点と、数多くのレガシーを遺している。

遺作となった祇園T.Tは、日本古来の美意識を現代に蘇らせるべく、京都・祇園に建てられた総合芸術空間だ。ものづくりの真の価値は歴史のなかにすでに在るという観点から、日本美術の源流ともいえる「茶の湯」を、自らの現代芸術作品として再解釈した場である。

1900年代の町家を改修した空間では、和の要素と洋装、そして石彫が響き合い、凛とした気配が満ちている。二階には、髙橋自身が設えた茶室が佇む。空間、建築、茶室、彫刻、衣服。そのすべてに、時の移ろいに宿る美しさと、彼の哲学と美学が、いまも息づく。

 

《Infinity》「無限門」「無限塔」「無限円」

髙橋大雅が、イサム・ノグチを長く支えた石彫家・和泉正敏とともに手がけた三つの彫刻作品。「終わりのない時間」をテーマに、目に見えない「時間」という概念を、人類最古の芸術分野のひとつである彫刻によって視覚化する試みである。

無限とは、永遠の形ではなく、人がその最果てに触れられない状態を指す。そのつかみがたさに、髙橋は形を与えようとした。完成を目指さず、終点を持たず、意味の確定を拒みつづける《Infinity》は、存在と不在の境界に立つための装置として構想されている。人は有限であるがゆえに、無限を思い描く。《Infinity》は、その根源的な衝動への応答である。

これは、髙橋が提唱した「応用考古学」の延長線上にある営みでもある。過去から受け継いだものを現代へ接続し直し、未来へ送り出していく。素材に選ばれたのは、「万年という時間を内包できる」石。古来、美の根源にはつねに石があった。地球の深部から生まれ、長い年月をかけて姿を変えてきた玄武岩そのものが、すでに時間の証言者なのだ。

髙橋大雅, '無限門', 2021, 玄武岩, 86.5 x 126 x 85.5 cm

無限門(Infinity Void)

時間の境界として立ち上がる作品。門は、こちら側とあちら側を分かつもの。日常と非日常、俗と聖、過去と現在、あらゆる二つの領域のあいだに引かれた見えない線を可視化する装置だ。総合芸術空間「T.T」の入り口に据えられた本作は、「つくばい(蹲踞)」としても機能する。茶室に入る前、客は身をかがめて水に触れ、俗世の塵を洗い落として茶席へと向かう。その所作にならい、髙橋がデザインを、和泉が彫刻を担った。用いられたのは、かつてイサム・ノグチと和泉がともに探しに出かけて見つけ、和泉が長年手元に置きつづけてきた特別な一石である。

 

髙橋大雅, '無限円', 玄武岩, 78 x 104 x 76.5 cm

無限円(Infinity Circle)

玄武岩を瞑想するように彫り上げた一作。円という、始まりも終わりも持たない形に、「終わりのない時間」というテーマが重ねられている。どこにも切れ目のない円環は、時間そのものの構造を映す象徴。素材の重さと、形の滑らかさ。その緊張のあいだに、作品は凛と立ち上がっている。

 

髙橋大雅, '無限塔', 2021, 玄武岩,
左 21.3 x 21.3 x 200 cm
中央 17.4 x 17.4 x 200 cm
右 21.3 x 21.3 x 200 cm

無限塔(Infinity Pillar)

進みながらねじれていく時間を示す作品。時間は一方向に流れるものと思われがちだが、実際に経験される時間はそう単純ではない。記憶は同じ瞬間に立ち戻り、未来は過去のなかへ折り返される。左、中央、右、三つのパーツから構成される高さ2メートルの石柱は、過去、現在、未来という時間の三相を想起させる。下から上へと視線を導く塔の形式が、地に根ざしながら天へと伸びゆく時間の運動を、その姿に刻みつけている。

 

秋篠寺(776年建立)伝救脱菩薩像の衣紋(髙橋大雅所蔵)

 

彫刻

立体作品の出発点は、秋篠寺(あきしのでら)に安置されていた天帝釈天立像(天平〜鎌倉時代)の衣紋。衣紋とは、彫刻や絵画における人物像の着衣の襞を指す言葉だ。古来、世界各地の彫像や絵画に描かれてきた「衣のドレープ」に、髙橋は早くから惹かれつづけてきた。

仏像のドレープに魅せられた髙橋は、やがて西洋と東洋の古典彫刻におけるドレープ表現へと考察を広げていく。古代ギリシャ彫刻、ルネッサンス期のミケランジェロ、日本の仏像。「芸術(ファインアート)」という概念が誕生する以前から、異なる時代と土地で生まれた造形は、布のドレープを美の共通言語として描いてきた。髙橋は次のように語っている。「人体に被せた布地の壁がうねっている。そこにあるのは、現実と虚像(写実性と抽象性)が共存する世界。ドレープとは、古代から現代で共通して美を認識することができる伝統的な表現である」。

時間の天衣
2022年 / ブロンズ / 19 x 20 x 144 cm

時間の天衣 2022年 / 玄武岩 / 16 x 24 x 144 cm

 

平面作品

平面作品シリーズは、石膏に浸した帆布をキャンバス上に襞を意図しながら貼り込み、髙橋自身が原型を作りあげた。これを型取りし、石膏、銅の鋳造、ガラスといった異なる素材へと展開することで、ひとつのドレープが多様な物質性のなかで姿を変えていく。襞という形ではなく、襞が生む陰翳そのものを定着させようとした企てといえる。

天衣無縫
2022年 / ブロンズ / 50 x 72 cm

天衣無縫
2022年 / ガラス / 50 x 72 cm

陰翳礼讃 / In Praise of Shadows

古今東西、ドレープは美の象徴として、彫刻、建築、宗教儀礼、そして衣服のなかに繰り返し現れてきた。布が垂れて生まれる柔らかな起伏と陰影は、人の感覚に普遍的な美を呼び起こす。

《陰翳礼讃》が向き合うのは、ドレープという形そのものではない。人がそこに美を感じ取る感覚は、どこから生まれるのか。布が落ち、重力が働き、時間が積み重なることで、ドレープは自然に形づくられていく。意図と偶然が交わり、人の操作を越えて立ち現れる形。その発生の瞬間にこそ、髙橋は美の起点を見出した。

光と影は、形を照らすために添えられる脇役ではない。形と同じ次元で作品を構成する要素として扱われ、時間の経過を空間に映し出しながら、作品に奥行きを与えていく。

陰翳礼讃
2022年 / 石膏 / 73 x 100 cm

陰翳礼讃
2022年/石膏/50 x 72 cm

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